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私の枕草子
神田川
- カテゴリー:あれこれ
- 都道府県:東京都
- 投稿日:2010年02月05日 11:33
- 投稿者: 嶋崎 靖 さん(東京都)
♪貴方は もう忘れたかしら~
この曲が爆発的ヒットをしたのは1970年代の中頃。
丁度、私が横浜の四畳半の薄暗いアパートで独り暮らしを始めた青春の思い出と重なる。
♪若かったあの頃 何も怖くなかった~
「神田川」この歌を思い出したのは、お茶の水で、神田川に触発されたせいなのだろうか…?
3日は、「新宿村スタジオ」で最後の稽古だった。
短い時間の中でやれることはやったと言う自負もあるが、不満も沢山…。
「新宿村スタジオ」http://www.shinjukumura.co.jp/
ここが出来てからもう20年くらい経つのだろうか…?
北新宿の外れ、バブルの弾けた荒廃地に出来た「貸スタジオ」は、今や、演劇やダンスなどの稽古場として無くてはならない存在になった。
私は、時間が空いたり、考え事をする時、稽古場の近所を散策する。
「神田川」のヒットと時を同じくして林立しだした、西新宿の高層ビル開発は未だに続き、スタジオのある北新宿にまで及んでいる。(写真1)
そんなにビルを作って、どうするんだろう? 廃墟になったビル群を想像するとぞっとする。やはりあの頃、奥多摩の山から見た、東京のビル群は、まさに墓石の群れだったし…。
高層ビルが林立しだした日本の変貌と、「神田川」のヒットは決して無縁ではないだろう…? 失われ行くモノへの惜別の歌だったように思う。
古いお地蔵さんが大事にされていたりするとちょっとだけホットする。(写真2)
私は「新宿生れの新宿育ち」
生まれて2歳頃まで住んでいたのは、成子坂のアパート。勿論、親から聞いた話と、数枚の写真、それから親に連れられて大家さんにご挨拶に行った幼き頃の記憶が微かにあるだけだが…。
全く意識していなかったが、成子坂は「新宿村スタジオ」の目の前。これまで、何度もこのスタジオにも来たし、淀橋浄水場に関わる芝居を作ってきたり、西新宿のビルでも相当遊んだが、ここらがまさに自分の生まれた場から数百メートルの距離であったとは、考えたことも無かった。
微かな記憶を探ろうと、成子坂周辺をブラブラしてみる。勿論、古い写真や記憶の片鱗があるわけも無い…。ただ、2分も歩くと川を挟んで向こうは中野区。その川は「神田川」
そうか、神田川の袂で生まれていたんだ…!
改めて気づかされた「神田川」との御縁。
考えてみれば、20年以上を過ごした「野方の稽古場」直ぐ下を流れる妙正寺川も、神田川水系だ。
結婚して子供達が生まれた江戸川橋は、無論、神田川に架かる橋。
四谷の御堀は神田川の引き堀。
記憶や思い出を封印するかのように建てられた巨大な墓群。そのガラスとコンクリートのビルに、全国から集まる人々、墓参りのように…。
護岸工事でガチガチに固められた小さな川が微かに土地の記憶や思い出を繋いでくれているのかもしれない。
♪貴方は もう忘れたかしら~
コメント
2件のコメントがあります 最新3件表示
- 西園寺公輝 さん(大分県) 2010年02月09日 23:42
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高層ビルの最後ってどうなるんでしょうねぇ?
ビルですから半永久って訳にもいかないでしょうし、耐震補強ったって莫大な予算掛るだろうし・・・
いつかは寿命が来て解体しなくちゃならないんだと思いますが、持ち主がそのコストを負担しきれなくてバンザイしちゃったら・・・
そもそも関東で大震災が起きたら本当に築ン十年の高層ビル群は倒れずに建って居続けられるのだろうか・・・
もし倒壊してしまったら・・・
それは911レベルの悲劇ですねぇ
- 嶋崎 靖 さん(東京都) 2010年02月10日 20:45
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西園寺公輝 さん
本当に、笑い話では済まない現実が待っていると思います。
大地震などが無ければ、寿命そのものは私が死んだ後だと思いますが…。そうだ、私は新宿の高層ビルの下に埋めて貰おうかな…。




