WOWOWご加入はネットからがお得!

私もブログを書きたい、この記事にコメントしたいと思ったら、こちらより「ぶらっと!」の招待状を請求してください。

町の再生

写真の町=松崎

  • カテゴリー:まち自慢
  • 都道府県:静岡県
  • 投稿日:2010年01月25日 20:49
  • 投稿者: 松本晴雄 さん(静岡県)
  • 201001260626-3000041
  • 201001260626-3000042

 観光を「教養産業」と称した町長・故依田敬一氏の言葉に接した私が唯一の人物らしい。誰に聞いても知らないという。互いに学び、教え合うことで「知識の共有」が、「幸せ観=観光」につながるのだと理解する。

 私のことをよく「郷土史家」と呼ぶが、歴史を本格的に勉強したことはなく、「人間・風土」に興味を持つだけである。もちろん、その人物の背景にある時代、環境があってのことである。それが数多くの著名人を輩出する「特異な町」で、これを観光資源にしない手はないと思う。だが、町民は他人任せで知らぬ存ぜぬを決め込み、無反応このうえない。

 先に書いた「軍艦建造の岡崎八十八」を発見できたのも、NPO葵学園からの依頼が出発点である。町内の学園生徒に、人物研究に興味を持つ者がなかったからで、私のような負けず嫌いな男は、すぐに町の名誉のためにと燃え上がったのである。

 しかし、八十八など役場の職員、学校の先生、観光業者、諸先輩に聞いても、町図書館を探しても資料には出合えなかった。こんな時、お勧めなのが「県立中央図書館」である。メールで質問すると、こんな資料があると知らせてくれる。それを文書で、「どの部分をコピーしてくれ」と申し込む。すると10円でコピーして送付してくれる。

 今回の「江崎礼二」については、知人に記憶している者がなく、県立中央図書館でコピーをいただいた。だが、松崎との関係が不明であった。私は、それをどこかで見た記憶があった。町図書館で「広報まつざき」を探したが途中までしかなく、教育委員会で「町史編纂室だより」見たが、それがなかった。ダメもとと役場に電話をかけると、やはり平成10年の「広報まつざき」に掲載されていた。

 「明治の写真師外伝・江崎礼二」とあり、この男は弘化二年岐阜県大垣生まれで、どうした関係か松崎町江奈で育ったのだという。その「江崎」なる姓も、江奈と松崎から一文字ずつをとってつけたという。本名は塩谷岩吉、礼二郎とも名乗る。

 明治3年上京して、大垣藩江戸屋敷に住み、柳川春三著「写真鏡図説」から理論を学び、実技を学ぼうと写真の元祖「下岡蓮杖」の門を叩く。翌4年、東京芝で営業をはじめ、5年には浅草で開業する。やがて英国で発明された早撮り出来る新技術の「乾板」に出合うのである。

 明治16年5月、その乾板を使って隅田川の海軍競漕会で、短艇競争を乾板技法で撮影し、この時さらに水雷爆発の瞬間の水柱撮影に成功したのである。

 その模様を「報知新聞」は、「その鮮明なることあたかも繋舟を写せしが如く、殊に目覚ましきは、水雷火の轟然一発河水飛騰の状にて、これは実地見物したる者も、一瞬間に見得ざりしも多き由あんれば、尋常一般の腕にては写し得難かるべし。本邦にて飛動の物体を写すは、実に江崎礼二氏が最初なるよし」とあり、「早撮り写真師」の名をほしいままにしたという。息子・江崎清、義息子・礼忠も写真家である。この礼忠は引き延ばし機や、万世不変色印画紙を使い、透明写真プロマイド、顕微鏡写真、夜間撮影会など発表会を開く。

 また今回の調査で、鈴木真一の弟子となり、上海で写真館を開業した「鈴木忠視」も松崎町出身者であることが判明した。そして帰国、沼津や静岡でも写真館を開いたという。

 鈴木真一。二代目真一は松崎と直接関係はないが、娘婿である。それに忠視、この礼二と、明治の写真史に名が残る人物である。まさに松崎町が「写真の町」であるということが立証出来る。

 学ぶ楽しさ、それを話題にのせることが、「観光」に大いに役立つ。敬一氏がいう「観光は教養産業」を実感する出来事である。



トラックバックURL(外部ブログ用):http://www.burat.jp/tb/201001252049-5000033

地域ライタープロフィール

  • 名前:非公開
  • 居住地:静岡県
  • 肩書き:半日百姓・毎日デジカメ散策
  • 誕生日:非公開

地域ライターブログ

カレンダー

prev_month 2010年09月
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30