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目黒・祐天寺と松崎大工

  • カテゴリー:遊・学
  • 都道府県:静岡県
  • 投稿日:2010年05月19日 20:12
  • 投稿者: 松本晴雄 さん(静岡県)
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 歴史を勉強していると、心ふくよかになる。片田舎・松崎大工が各地で大活躍しているのである。封建時代で土地に縛られ身動き出来ないと思われがちだが、領主とか、和尚の目利きによって抜擢されているのだ。

 天保年間(1830~1829)、松崎・浄泉寺に19世近誉順海和尚がいた。京都・岩倉の出身で、知恩院69世順良の弟子になったひとである。それがなぜか、松崎・浄泉寺の住職になる。

 そして弘化元年(1844)7月、祐天寺13世「祐興」となる。年齢は没年から逆算して46歳時である。以後25年、祐天寺で天寿を全うし、慶応2年(1866)に没する。後中興の祖とまで言われる。

 この間、阿弥陀堂、本尊宮殿、仁王像などを松崎町岩地の大工・斎藤利八、伊助にさせているのだ。弘化年代には「八方睨みの龍」(天井画)で有名な浄感寺建築を石田半兵衛と入江長八がやっているので、利八が選ばれたのだろう。それにしても狭い土地に腕の良い大工が揃っていたことがわかる。

 また、入江長八の号「天祐乾道居士」は、浄感寺完成後、祐天寺を訪れ、祐興上人に帰依していただいたものという。それほどに人と人の結びつきは、昔のほうが顕著だったのである。ひとりの和尚の赴任が、土地の職人を抜擢してくれる有り難さである。

 やがて明治の世となり、27年の火災で本堂・本殿が火災に遭う。それを斎藤秀八が請け負って完成させる。現存する建物だという。そのお礼に31年、16世霊俊から「開山・祐天上人絵像」を授与される。まだ調査中だが、この「秀八」が、丸高・高橋亘翁の祖父であれば、祐天寺が亘という人物を創ったといえなくもない。

 なお、利八と祐興上人の交際は篤く、祐天上人の名号の授与、狩野栄信筆の絵を譲与されたりしている。職人であっても信仰の深さ、純真な人間性が伺われる。

 余談だが、国鉄総裁・石田礼助の祖先に「生鉄和尚」があり、妙心寺283世ともなり、宇都宮藩主など歴任する戸田侯の大名寺住職となって各地を転任する。その越後・高田で24歳の白隠禅師が大悟するのである。

 たかが150年ほど前の昔である。松崎人がどこにも負けをとらないで大活躍しているのである。

 それにつけても現代人は歴史を蔑ろにしすぎている。お年寄りから昔話を聞く態度があれば、必ず町は再生される。



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